三杯谷の滝から遊歩道を上がったら普通の道路に出た。左を見れば公衆トイレ。右を見れば広い路肩にバスが停まっている。我々が乗ってきたバスだ。ここで昼食とのこと。


バスの向こうに舞台が有り、その舞台に座り込んだり、アスファルトの上にそのまま座ったりして弁当。私はコンビニで買って来たサンドイッチ。朝寝坊しなかったら熱いスープを飲むはずだったんだが。
食事も終わったら出発の準備。バスの左に見える舞台は、おまつりの時にはカラオケのステージにもなるそうだ。
13時頃、出発
すぐに山道に入っていく
珍しく竹林の横を通過
そしてまたすぐにアスファルト舗装の道路
出発前の清家先生の話では山道が3割、残りの7割は村道、つまり普通の道路歩きだとのことだった。
この標識は村道ではなく県道だった(-_-;)
県道342号線 (池田川崎線)
14時頃 水ヶ峠

泉ヶ峠まで3.7km。泉ヶ峠とは今日の最終地点だ。
清家先生がバスの中で配った地図を見ながら説明している。バスの中でその地図を見たとき、これは1/25000地図を4枚貼り合わせてコピーした地図だなと思っていたら、清家先生もわざわざその4枚貼り合わせの技を説明していた。今日歩いたコースは実際には1/25000地図2枚で十分なのだが、それでは貼り合わせた時のバランスが悪いので4枚にしたのだと思う。

ここまで舗装路を歩いて来たが、ここからは奥に続く未舗装路を歩く。
未舗装路の歩行時間はわずかだった。すぐに山道に入る。
ここも落ち葉が多い。周囲はドングリ系の木が多い。正真正銘の栗も落ちている。
落ち葉を踏みしめ歩く
季節外れのエイザンスミレが咲いている
珍しいものを見た。イノシシが体をこすりつけた跡だ。この部分がえぐれていると言う事は、かなり以前からイノシシが愛用していたことになる。

竜馬脱藩の道を歩きながら、竜馬は何を思って歩いたのか?早死にしなかったらどんな人生になっていたのだろうか?などの話題は一切無いのだった。晩のおかずは何にしよう?とか、韓国ドラマのあれは面白いんよなど他愛も無いことを話しながら歩くのが楽しいのである。




ビニールハウスの横を通過。中を覗くとトマトだ。この時期にトマト?収穫時期も終わって放置されたトマトだろうか?

竜馬がここを通ったら、ガブリと一口かじって「徳谷トマトの方が甘いぜよ」と言ったに違いない。・・・ぜよ。
竜馬が歩いた頃はこの人工林は無かったはずだ。どんな景色だったんだろう。
15時15分 泉ヶ峠到着

文久二年(一八六二)春、土佐の郷士坂本龍馬は風雲急を告げる時局を洞察し自らの使命を自覚するや決然として土佐藩を脱藩した。三月二十四日高知を立ち二十六日国境の韮ヶ峠を越えて伊予の国に入り脱藩後最初の夜を過ごしたのがこの泉ヶ峠である。この峠に休んだ龍馬に思いを馳せ「坂本龍馬脱藩の道を探る」の著者村上恒夫氏の揮毫による記念碑をここに建立する。
平成三年九月吉日
河辺村坂本龍馬脱藩の道保存会
河辺村長 大野富士男

ここから少し降りると舗装路に出た。バスも待っている。

はい、お疲れ様でした。

10mほど離れた場所から今度は五十崎に向かう脱藩の道が始まっている。今日は行かない。
車の通る道路の峠はこうだ。ここから向こうは大洲(旧河辺村)

向こうにバスが写っている。

バスに乗ったら出発。五十崎インターから高速に入る。

最後にハプニング発生。もう今日の楽しい時間は終わった後なので詳細は書かない。故障のため停車した場所が高速道路だったというだけのことだ。

19時頃、川内役場に到着。予定よりも2時間遅れ。

今日は龍馬脱藩の道を行くというロマン溢れる山行の最後にとんだハプニングが有り、劇的な結末となった。



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