今日はさくら山行会で河辺村の竜馬脱藩の道を歩きに行く。竜馬脱藩であって脱○ではない。脱藩ということであれば竜馬が立国の強い決意をもって土佐の国を出ることになるのだが、脱○ならば竜馬が脂汗をにじませながら苦しそうに歩いていき、その歩いた後には何か黒いものが点々と・・・(竜馬はヤギか(-_-;)) いきなり竜馬の熱狂的ファンが見たら怒り出しそうな書き出しで、出足好調である。

朝、目が覚めたら6時40分。役場出発は7時である。これは遅刻だ。あわてて服を着たらすぐに家を飛び出す。そしてコンビニで缶コーヒーと昼食用のサンドイッチをゲット。もう昼食用のおにぎりは買わない。先週鞍瀬渓谷でコンビニおにぎりを食べたが、あの寒い気温の中で冷たいおにぎりを食べる気がしなかったのだ。これからの季節はコメの飯はダメだ。パンが良い。本当は魔法瓶にお湯を入れてきてお昼はスープも飲むつもりだったが、魔法瓶にお湯を準備する時間も無く我が家を出た。

役場の駐車場に行くとまだ私よりも遅い人が居て安心する。今日は参加人数が多くてマイクロバスの補助シートを全部使わないと乗れない。私は補助シートの最前列に座る。参加人数をチェックしたら出発。

川内インターから高速に入り五十崎を目指す。清家先生が神南山や陣ヶ森の話をする。皿ヶ嶺のすぐ東にも陣ヶ森は有るが、県内あちこちに陣ヶ森は有るそうだ。陣地を示す森(山)ということであれば、そこら中に有っても不思議ではない。

五十崎で高速を降りて肱川を目指す。途中の道の駅でトイレ休憩。私はここのコンビニでバスの中で食べる朝食用のおにぎり1個と乾電池を買った。乾電池はデジカメとGPS用だ。今日は久しぶりにオリンパス10倍ズーム機を持ってきた。いつもの500万画素コンデジは鞍瀬渓谷で水没してしまい現在修理依頼中である。

バスは国道から外れて細い道に入っていく。しかし何故か時々2車線の道路に変身し、やっと快適に走れると思ったら、また細い道に変わるのだった。1車線と2車線を繰り返しながら進んでいく。途中、昔の河辺村役場の前でバスを停めさせた清家先生が役場の中に入っていく。すぐに封筒を持って帰ってきた。封筒の中には事前に依頼していた脱藩の道の資料が今日の参加人数分だけ入っているのだ。さすが清家先生。

河辺村は屋根つき橋が有ることでも有名だが、バスの中から2箇所ほど屋根つき橋が見えた。そのうちの2つ目の屋根つき橋は脱藩の道に含まれていて、実際に橋を渡るとの説明。

8時57分頃、あまごの里とかかれた民宿を目印にバスは右折して川を渡り、その後はどんどん細い道を上がっていく。

9時15分頃、バスは停車。ここから歩きだ。清家先生からもらった地図には榎ヶ峠ということになっているが、峠の雰囲気ではない。峠の手前になるのかな?

道路はまだ奥まで通じているように見えた。多分、これ以上奥に進めばバスが回転できないのだろう。ここは辛うじて切り返し2回ほどでバスの方向転換が出来る程度の広場が有る。
9時30分頃、出発。寒い。私は歩き始めから防風用のナイロンヤッケを着る。
榎ヶ峠と坂本竜馬脱藩の道の道標。ここから山道に入っていく。
落ち葉でふかふかの道を歩く。
前方に何かの説明用の板が有る。清家先生がそれを読みながら皆に解説する。
もう少し歩くと岩の割れ目から木がはえているところに来た。そこにこの説明板。簡単に転記すると大洲藩の11代藩主がここを通ったときに同行していたお姫様がこの岩の上で遊んでいて笄を岩の割れ目に落としてしまい、取れないままに行ってしまったので、この岩を笄岩(こうがいいわ)と呼ぶようになった。

「笄(こうがい)」とは何のことかサッパリ分からない私だが、流石さくら山行会。ちゃんと「笄」とは何かを知っている人が居た。

ところで「こうがい」で漢字変換すると「笄」が出てくる。ところがこの説明板には「竹かんむりに行」の字を当てている。検索してもこの文字は間違っているような気がするんだが???
これが「こうがい岩」の割れ目から生えている木。お姫様の落とした「笄」から根が出て、芽が出て、ここまで成長したんだな。
竜馬の後を追う竜馬ファンクラブの昔乙女(-_-;)
民家のすぐ前も通る
夜明けの道と書かれた白い大きな岩と、その横に竜馬脱藩の道を作るきっかけを書いた石碑。

近代日本の夜明けに高遠な志をいだいて奔走しながら凶刃に倒れた坂本龍馬が土佐藩を脱藩した折に通った道が古文書「関雄之助口述之事」によれば「小屋村ヨリ榎ヶ峠−横通り−封事ヶ峠−三杯谷−日除−水ヶ峠ヲ経テ泉ヶ峠ニ至ル龍馬俊平ト共に泊マレリ」とここ河辺村に約十五キロメートある。この道を私たちは文化的遺産として大切に保存することを誓い幕末風雲の中をおびただしい夢を残して懸命に駆け抜けた男坂本龍馬の偉業をしのびここに記念碑を建立する。
平成元年十一月十五日
河辺村長 大野富士男
小さな川に沿って降りていく
10時ごろ 神社の境内に入っていった
境内の前には屋根つき橋。バスの中から見えていた橋だ。
橋の名前は御幸橋
川の下流から見た御幸橋
郵便局の前を通過
脱藩の道の道標の横にはゴミ収集箱。龍馬もチョコレートの包み紙をここに捨てながら歩いたんだろうか?

ヤマラッキョウとリンドウが並んで咲いていた

11時12分頃  横通りの表示が有るところで小休止

ここが封事ヶ峠への登山口となる   
11時39分 封事ヶ峠

三杯谷まで2.1km
ちょっと山道を歩いたかと思うと、すぐに舗装路に出る
ここはまた山道

小さいな神社の前を通過する
樹木の隙間からは民家やガードレールが見えている
たまには彩りを
棚田の横を谷に向かって降りていき突き当たりを右に行く。もちろん脱藩の標識有り。
この小さな谷を歩いていくと前方に小屋が見えてきた。あまりにも唐突に現れたので、いったいこれは何ですか?と聞くと、すぐ向こうに滝が有るからその竜神様を祀っているところか、滝で行をする人の小屋では無いかとの返事だった。


    続く



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