バスに乗ると清家先生が予定よりも早く下山できたから寄り道しますかどうしますかと皆に聞く。どうせ暇なんだから寄り道したほうが楽しいと言うことで先生のお勧めの赤蔵ヶ池(あぞうがいけ)に向かうことにする。

14時13分 赤蔵ヶ池に向けてバスは出発する。再びもと来た細い道を走るが今度は下り坂なので役場のマイクロバスも快調である。このバスも人間と同じだね〜と言う声が聞こえて一堂大笑いだ。


国道33号線に出て松山方面に向かう。少し走ると国道に<赤蔵ヶ池>の標識が有るではないか。手作りの粗末な標識ではなくちゃんとお役所の作った普通の標識である。バスのメンバーは誰も知らなかったがここは結構有名な場所なのか?標識に従って国道から右折すると<川内には通りぬけ出来ません>の表示がある。いったい何事と思うがバスの中の会話でどうやら理解できた。これから走る道路は県道210号線で通称美川川内線と呼ばれるらしいがまだ全線開通してなくてどこかで切れているんだろうとの推測である。

この県道も細いが拡張工事をしているところもあり22世紀にはきれいな道になっているだろう。バスはどんどん高度を上げて行き右手には先ほど登った中津明神山が見える。前方遠くに大きな建物が見えていかにも学校のように見える。バスの両側の畑ではミツマタの花が白く満開になっている。建物に近づくと結構民家が密集している地区に来た。学校の名前は<ふたつの小学校>つのの文字がむつかしく最初から漢字変換できないとあきらめてひらがな書きしだ。恐らくここの地区の人、そして小学校の在校生はワープロで自分の学校名が変換できないことで怒っているに違いない。

途中からさらに赤蔵ヶ池の標識に従って左折しさらに細い道を上がって行く。こんな道を走る車は居ないんじゃないのと思えるほどだ。一人だったら絶対に運転して来たく無いところだ。

15時16分 赤蔵ヶ池遊歩道入り口に到着
美川村の観光名所を書いた看板と赤蔵ヶ池についての看板。しかし肝心の伝説については書かれてなかった。

この赤蔵ヶ池には怪鳥<ぬえ>にまつわる伝説があり、ぬえは無理に漢字で書くと<夜飛ぶ鳥>の3つの文字を一つで書くようだとの清家先生の説明。
中津明神山で清家先生が話した赤蔵ヶ池とぬえの伝説                         昔この地区まで都落ちして来た源三位頼政は京都に戻って役人になったが全然出世しない。ところがある日、京都にぬえが現れて京都の平穏を脅かすので誰かあれを退治するようにとの勅命が下るが誰もぬえを怖がって退治しようとしない。そこでこの源三位頼政がぬえを退治し出世することが出来たのであるが、なんとぬえの正体は息子を出世させたい母の化身であり母は息子を出世させるためにぬえに変身し息子に討たれたのである。ぬえは毎夜赤蔵ヶ池と京都の間を往復したそうである。 

さすがの清家先生もこの伝説に関してはウロ覚えだと言っていたし私もメモも取らずにボーッと聞いていたので極めて簡単に書いている。誰か正確な伝説を知っていたら教えてください。
ここからは楽なハイキングですと清家先生が言うがこのセリフを信じてはいけない。清家先生の楽なレベルと我々の楽なレベルは違うのだ。しかし歩き始めると大したアップダウンも無く確かに楽なハイキングだ。

前方に池が見えてきた。ここで突然地面が揺れる。地震だ。結構強い。すぐに腕時計を見る。15時28分。数秒間?の揺れがおさまった後で思ったが私の感覚は鈍いの一言。私が地震と感じたのは既に誰かが悲鳴を上げた後だったのだ。それに地鳴りを聞いたとか杉の花粉が地震で飛び出したとか口々に話しているが私は一切感じてない。もし家の中で大地震に遭ったら何もすることなく家に押しつぶされるタイプの人間であることがはっきりした。

これは<ぬえ>のたたりだ。と皆に言う余裕が出た。池のすぐ横に公衆トイレがあったが、ここはトイレと見せかけて<ぬえ>の餌場だから近づかないようにと注意を促す。
池のすぐ横にも看板があり<ぬえ>のことも書かれているが伝説は書かれていない。
池の周囲を巡る遊歩道を歩いてみる。上の看板に見えるとおり数百メートルの歩きやすい散歩道であるが<ぬえ>が棲み付いているだけに時間帯によっては怖いところだ。
これは何をしているところかと言うと先ほどの看板にこの池にはジュンサイが自生していたと書かれていたので池の中に繁殖している植物がジュンサイなのかどうかチェックしているところ。しかし誰も本物のジュンサイを見たことが無いんだから分からない。それに看板には<生育していた>と過去形で書かれている。と言うことは・・・
最初の看板の有る場所に戻ってきた。岸辺に美川村と書かれた手こぎボートが1艘置かれている。私はこれを見て<ぬえの伝説はよそ者にジュンサイを取られたくない地元の人が池に近づかせないための作り話じゃないの?>と言って皆を笑わせる。

16時5分 バス出発。携帯電話を持っている人は先ほどの地震が心配で自宅に電話するがつながらない。

道の両側にはフキノトウやツクシが密集しているところがありその度に<運転手さん止めて〜>と声が上がるが運転手さんは無視。いちいち(アレ欲しいコレ欲しい)に付き合っていたら身が持たないことが分かっているのだ。

バスが走ってきた山道は国道494号線に出て左折する。すぐに見覚え有る道路に出た。右に行けば面河渓谷、左に行けば国道33号線だ。

33号線に出て久万町の中心部を走っていると道路沿いの民家の屋根瓦があちこちで崩れている。崩れてなくても瓦の下の粘土が粉末状になって屋根の上に流れているのも見える。私も長い?人生で地震で瓦が崩れたのを見たのは初めてだ。採石場でもいかにも土砂が崩れた跡のようなものがバスから見える。

17時過ぎ。三坂峠を越えて3車線になっているところの中央車線にパトカーが止まっている。一体何事と思ったら道路の真中に直径数十cmの岩が転がっている。山の上から落ちてきたのだ。こんな岩が走っている車に当たれば人身事故は間違い無い。しかし事故車のようなものは無かったのが不幸中の幸いだ。

砥部まで下りてきた。バスの中のメンバーはほとんどが屋根を見ている。最初は屋根の崩れた家は見当たらなかったので久万だけの現象かな?と思っていたらここでも道の両側の民家の屋根が何軒も崩れている。ようやく携帯がつながるようになったようで自宅に電話して<屋根瓦をチェックして>と家族に話している。

屋根瓦を見ながら重信、川内と帰ってきた。このあたりは大丈夫のようだ。しかし県道伊予川内線が渋滞。もしかしたらと思ったが予想通り高速道路通行止め。

17時54分 公民館到着。今日は初めての山に行けて良かったと同時に不思議な伝説の池にも行けて良かった。来月はカタクリの花を見に赤星だ。


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